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乳がん検診で引っかかり、大学病院で精密検査を受けてきた話

乳がん検診で引っかかり、大学病院で精密検査を受けてきた話 エッセイ

29歳の誕生日を迎えてすぐの頃。

健康診断でうけた超音波エコー検査で乳腺に腫瘍が見つかり、大学病院で「乳がんの疑いがある」と言われ、最終的に腫瘍が良性か悪性かを調べる「針生検」をうけた。

結果、良性の腫瘍だったのだが、今後、悪性に変わったり、腫瘍が大きくなる可能性があるとのことで、現在は経過観察中である。(数か月後にもう一度、検査を受ける予定)

周りの人に聞いてみると、「痛い」「恥ずかしい」「検査費用が高い」「面倒くさい」「時間がない」といった理由から、乳がんや子宮頸がん検診を受ける人が少ないと聞いたので、私の経験を書いていこうと思う。

痛いかもしれない、恥ずかしいかもしれない、検査費用がもったいないかもしれない。

でも検診は受けてほしい!
だって、何よりも、健康が1番じゃん。

突然の「要精密検査」

会社から健康診断の案内は来ていたものの、体に不調はない。風邪をひいて仕事を休んだこともない。健康には自信があるほうだったので、何も気にしていなかった。

「さすがにそろそろ健康診断するかな」

重い腰を上げて、1年半ぶりに健康診断の予約を入れた。

家に届いた健康診断の書類に目を通していると、オプション検査の案内がふと目に入る。今回検査を受ける病院はオプション検査に力を入れているらしい。「○○が気になる方は△△セット」と、特売セールのようなことが書かれてある。

「マンモグラフィと乳房超音波エコーのセットだと少し安くなるのか。セットで申し込んでみるか」

母親から「若くてもマンモくらいは受けておきなさい!」と強く言われていたので、毎年マンモグラフィは受けていたが、超音波エコー検査は人生で初めてだった。

何度も言うが、体に不調はない。

何も気にすることなく、健康診断をうけた。



数週間後、検査結果が家に届いた。

Twitterのネットニュースを見るくらいの気持ちで目を通し始める。

最後のページに書かれていた超音波エコー検査で「E(要精密検査)」よく見ると、封筒の中に紹介状も同封されていた。

「こんなぺちゃぱいに何かあるわけないじゃん。安心するために検査だけ行っておくか」

この時はそれくらい軽い気持ちだった。

「がん」という言葉の破壊力

健康診断の結果に同封されていた紹介状を持って、大学病院へ向かう。

人で溢れかえっている土曜の大学病院。思い返してみれば、家族の付き添いやお見舞いで来たことがあるが、自分の診察は初めてである。

「この用紙を持って外科の受付に行ってくださいね」

受付の人から紙を渡されて、乳腺は「婦人科」ではなく「外科」だと初めて気が付いた。

待合室で30分ほど待ってやっと診察室に呼ばれた。

「健康診断の超音波検査で引っかかったんだね。そうしたら、もう一度マンモグラフィーと超音波エコー検査をやります。検診センターの機械とは精度が全然違うんですよ。検査いつ来れますか?」

診察室で検査の予約だけして、この日は終わった。



マンモグラフィーと超音波検査は健康診断の時にやっている。

どんなことをするのか、どんな流れなのか分かっているものの少し不安だった。

上半身裸になり、ジェルをつけると、検査技師さんが腫瘍があると思われる左胸に機械をぐりぐりと滑らせる。

超音波画像がリアルタイムでモニターに映し出され、自分の胸が見えた。

ベッドに横たわった状態でモニターを凝視していると、検査技師さんがスクリーンショットをとっている。腫瘍と思われる黒い影にマークをしているのが分かった。

「あぁ、やっぱ左胸に何かあるのね。こんなにマークしてるってことは何かがあるのは確実なんだろうな…」




「こんなぺちゃぱいなのに、何か悪いことあるわけないじゃん。仮にあったとしても簡単な治療をするくらいでしょ」

と、結果が出るまで間は、なるべくポジティブに考えるようにしていたが、病院の待合室まで来ると心がざわついた。

「左胸に腫瘍がありました。乳がんの疑いがありますので、次はMRIと採血をします。先生も乳腺外科の専門の先生に変わりますので…」

 

 

……。がん……?

 

 

検査技師さんがマークをつけていた時から何かがあるとは覚悟はしていたが、「がん」という言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

先生の話に頷くのが精一杯だった。

初めてMRIを受けるということもあり、続けざまに看護師さんから詳しい説明を受ける。

「”ぞうえいざい”を入れて、MRIをします。当日はアクセサリーは全て外して、‥‥‥‥」

淡々と説明をする看護師さんの言葉は、頭の中で右から左に流れていった。

(”ぞうえいざい”って何?)と思いながら、渡された説明書を読んでやっと、体の中をよく映すための”造影剤”という点滴だと分かった。

アレルギーがある人は副作用がでることがあるらしい。稀に死に至る場合があると注意書きがある。喘息持ちのわたしは、検査時に先生が立ち会うこととなった。乳がんだと分かる前に死んだら困る。

全ての説明が終わって、やっと思考回路が復活してきた。

がんだったら、薬物治療とか、ホルモン治療をする可能性もある?
そうしたら、妊娠できる可能性も低くなるよね?
手術したら、胸に傷跡が残るよね?
そもそも全摘になったらどうしよう?
まだ独身だけど、今後一緒になりたい人が出来たとき、伝えなきゃいけないよね?
こんなマイナスなことどう伝えるの?

帰り道、涙が溢れた。

生きた心地がしなかった3ヶ月間

「注射イヤだな…」

憂鬱な気分で病院に向かう。

実は先日の健康診断の採血で、意識を失うという経験をしていた。「血管迷走神経反射」といって、緊張やストレスなどが原因で起こる症状だ。

意識を失うくらい注射と血が嫌いなのに、この日は採血と点滴のダブルコンボ。

採血では真っ先に「わたし注射で意識なくすタイプで…」と伝えたおかげで、ベッドで採血を実施。ベッドに寝た状態だったからか、針が細かったからか、普通の人が採血をするように何事もなく終えることができた。

次はMRI。

厚い扉の部屋がいくつかあり、物々しい雰囲気で緊張してくる。着替える部屋に案内され、専用のガウンに着替え、時計などを外す。

検査技師さんたちが忙しそうにしていたり、自分も緊張して思考停止していたということもあり、注射で意識を失ったと伝え逃したまま造影剤の点滴に入ってしまった。

座ったまま注射を刺した後、頭の血の気が引いていった。呼吸が浅くなっているのが自分でも分かる。

「あ、これはヤバいやつかもしれん」

近くの壁に寄りかかり、目をつぶり、深呼吸をして、何とか持ち越した。

「今後はどんな状況でも遠慮せずに伝えよう」

そう思った。

乳腺のMRIは、胸の形に空いた穴に自分の胸を入れ、うつ伏せの状態で20分くらい同じ姿勢をキープして行う。

ヘッドホンをしてても、「ガッ、ガッ、ガッ」というMRIの機械音が聞こえてくる。

最後のほうは点滴を刺している腕が痺れてきていた。20分も動けなかったせいか、起き上がった瞬間は頭がクラクラする。壁を這いながら着替え室に戻った。

検査が終わった後は、病院に来た時と同じ人物だとは思えないほど体も心も、疲労困憊していた。

この日も泣きながら家に帰った。




今回の検査結果の報告から乳腺外科の先生に変わった。

わたしより5つくらい年上だろうか。思っていたよりも若い男性の先生だ。

「MRIで良性か、悪性かは分かりませんでした。次は腫瘍の細胞をとる生検という検査をします。この後すぐに検査をするから待合室で待っていてください」

MRIでほぼ良性か、悪性かが分かると思っていたので、「分からない」という結果は想定外だった。

MRIでも分からなかったの?
悪性の可能性はどれくらいあるの?
生検って何?
今この後すぐ?

思考回路が停止した頭の中で、いろんな感情がグルグルと渦巻く。

数十分して検査に呼ばれた。

胸に局所麻酔の注射をし、その後、太い針を刺して、組織の一部を切り取る検査だと看護師さんから説明を受けた。

前回の反省を生かし、注射で意識を失ったことがある、血が苦手だと伝えた。

「じゃあ、目はつぶったほうがいいね」

(目をつぶっていたほうがいいということは、割と血がでるということだよね!?)

この時点でわたしは検査への恐怖心と、乳がんかもしれないという不安で押しつぶされそうだった。検査とはいえ、初対面の男性の先生に胸をおっぴろげるのも嫌だった。

先生が腫瘍がある左胸に麻酔の注射を刺す。

その後、超音波エコーをしながら腫瘍の位置を確認しているのが、薄く開けている目の隙間から見えた。

すぐ後、何かが左胸に入っていった。麻酔が効いているので痛くはない。何かが体の中に入っていき、グリグリと動いている感覚だけがあった。

怖くて、不安で、体が震えて、涙が出た。

泣いて震えているのが先生にも分かったようで(体に針を刺しているんだから当たり前か)、「痛いですか?大丈夫かな?このまま続けられるかな」と聞いてきたので、

「痛くないですうっぅう。だいじょうぶですぅうっ」

と、嗚咽しながら答えた。

こんな検査で泣いている自分にも情けなくなり、もっと涙が出てきた。でも、ここで検査をやめたら迷惑もかかる。何よりももう一度検査をするなんて絶対にイヤだ。

バチンッ!バチンッ!バチンッ!

そのまま検査を続けてもらい、大きな音で3回ほど音がなった。(組織を切る音なのか、検査器具を見ていないので最後まで分からなかった)

体に入っていた何かが抜けていき、看護師さんが大きい絆創膏を左胸に貼ってくれ、無事に?検査を終えた。

自分が横になっていたベッドを見ると、冷や汗の跡が敷かれていた紙にくっきり残っていた。

「初めての検査だったから怖かったですよね」と看護師さんから言葉をかけてもらい、少し気持ちが落ち着いた。

検査結果が出るのは、丸2週間後。

良性か、悪性か判断ができる最後の検査。

今までも不安だったが、特にこの2週間は、本当に、本当にきつかった。

電車の中で、出先のトイレで、お風呂の中で、ベッドで、ジムで、一人になると急に涙が溢れでた。

普段は快眠で7時間ぐっすり眠れるわたしだが、この時期は夜中に何度も目が覚めて、いつも寝不足だった。髪の毛が抜けて、10円ハゲが出来た。検査結果を聞きに行く前日は蕁麻疹が出た。




検査結果を聞きに行く日。

わたしは10キロのランニングをし、シャワーを浴びてから病院に向かった。健康診断で引っかかった日からの約3か月間、不安な毎日を過ごしてきたが、体を動かしている時、人と一緒にいる時が一番気が紛れると気がついた。

ランニングでガクガクになった足で診察室に入る。

結果「”現時点では”良性」

「管状腫瘍」という胸に出来る腫瘍では症例が少なく、珍しいタイプらしい。腫瘍が大きくなったり、悪性に変化する可能性もあるとのこと。

「これからは両胸をよく触って、しこりがないか確認するようにしてください。何か気になることがあれば電話ください」

現時点では良性、手術して取り除く大きさではなかったので、経過観察。数か月後にもう一度検査をして、腫瘍が大きくなっていないか見るとのことになった。

今はできることをやるのみ

「良性だから、これからは何も気にすることはないです!」
「悪性でした。手術して治しましょう」

といった、白黒はっきりした結果を想像していたので、ぶっちゃけ今もモヤモヤが半端ない。

生きている心地がしない中で、なんとか生き延びた3カ月だった。完全なるメンタル病み期だった。

世界ネガティブ記録というものがこの世にあったとしたら、わたしは毎日自己新記録を更新していたと思う。

特に一人の時間は色んなことをネガティブに考えてしまって、負のループに陥っていた。

一人の時間を減らすために、いつも以上に友だちを誘って出かけたり、普段はあまりしないショッピングに出かけたり、外食したり、寝られるようにオーダーメイド枕やアロマキャンドルを買ってみたり。お金もかかったが、必要経費だったと思う。

生検の結果が出るまで両親以外の誰にも伝えなかったのだが、いろんな誘いに応じてくれた友だちには感謝してる。(メンヘラで距離感バグって、関係がそこまで深くない人をたくさん遊びに誘って困らせてしまったことに関しては反省してる)

ただ、自分だけではどうにもならない場合は、周りの人に頼ったり、気分転換できるものを探すことが大事だと改めて感じた。これを読んでいる方も、ひとりで抱え込まないでほしい。

今も悪性になるかもしれない腫瘍がある状態。数か月後の再検査の結果次第で、手術をすることになるかもしれない。

爆弾を抱えている気分でスッキリしないが、次の検査までは数カ月ある。

検査から1ヶ月以上たった今でも左胸には針を刺した跡が残っている。見るたびに恐怖の検査を思い出し、胸がギュッと締め付けられる。

今年は少し遠くに引っ越ししたり、海外に長い間行きたいと考えていたが、すぐには出来なくなってしまった。今は、今やれることに目を向けていこうと思う。

最後に、乳腺が発達している閉経前の女性は、マンモグラフィだけでは分からないことも多いとのこと。マンモグラフィと超音波エコー、必ずセットで受けてほしい。

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