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5分も走れなかった私がトライアスロンのレースを完走して感じたこと

トライアスロン会場 エッセイ

2022年10月、初めてトライアスロンのレースに出た。

ご存じの方もいるかもしれないが、トライアスロンは「スイム、バイク、ラン」の三種目を行う競技である。

一般的な距離は「オリンピックディスタンス(スイム1.5km/バイク40km/ラン10km)」と呼ばれているが、今回わたしが出たのは「スプリント(スイム750m/バイク20km/ラン5km)」という、マラソンでいうところのハーフの距離だ。

ハーフの距離とはいえ、ひとつの競技で三種目をこなす必要があると聞くと、スポーツの中でも過酷な競技をイメージをするだろう。運動神経がいい人、元々身体能力が高い人、学生の時に運動部でガッツリ体を動かしてきた人だけができるスポーツで、一般人には縁のないスポーツだと。

わたし自身も数か月前までは、トライアスロンなんて自分に最も縁のないスポーツだと思っていた。

理由は明白だ。
元々、運動神経ゼロの運動音痴だったからである。

小学5年生までは剣道と水泳を習っていた。泳ぐのは好きだったが、選手に選ばれたり、特別いい成績を残したことはない。なんとなく親に薦められて始め、なんとなくやめていた。それ以降は社会人になるまで、体育の授業以外での運動経験はゼロである。

学校の体育もいつも「3」という中途半端な成績。やる気と筆記試験の点数が評価された上での「3」である。

事実、体育の先生からは「体育の時間、校庭には一番に来てて、やる気だけはえらい」と言われる始末であった。今考えるとかなり失礼な言い方であるが、他人から見てもわたしは(真面目だが)運動神経がなかったということである。

他の子たちが簡単にやってのけてしまうことを、自分だけが圧倒的にできない。しかも成績として数字で「あなたは運動ができません」と評価される。みじめで、悲しかった。

今だから言えるが、中学生の時のマラソン大会、高校生の時の徒競走を仮病でサボったことがある。性格は割と真面目なほうだったと思うが、なんとしてでも運動を避けたかったわたしは、サボることに対して罪悪感は全く感じなかった。学生時代のわたしにとって、運動は、ゴキブリのような、人生で絶対に出会いたくない存在だったのだ。

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そんなわたしだが、社会人になってからはロードバイクを始めた。

大学時代のように毎週末の飲み会もなく、家事をして、時々友だちと遊びに行く社会人生活。「ひとりの時間でできる趣味を見つけたいなあ」と思っていたところ、タイミングよくロードバイク乗りの叔父に誘われ、叔父のロードバイクを借りて○○ライドのようなイベントに参加した。

タイムを競うわけでもなく、子どもから大人まで一緒に走って、美味しいものを食べたり、お花を見に行くという目的のイベント。他人と比べられ、数字で評価されていた学校の体育とは違い、身体を動かすことをただ楽しむという経験は初めてだった。新鮮だった。

中禅寺湖社会人2年目のインセンティブで購入した愛車

ロードバイクに乗っているといっても、弱虫ペダルのような自転車競技ではない。電車では行きづらい場所に観光に行くとか、カフェに行くといったサイクリングのノリで楽しむタイプだ。

誘われて一度だけ自転車レースに出たことはあるが、ビリから二番目のタイム。今も速くはないが、自分のペースで乗るロードバイクは好きだ。

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わたしは一定周期で、苦手なことに挑戦したくなる時期がやってくる。

ロードバイクに乗り始めて4年ほどたち、その時が来た。

「今回は何にしようか」と考えていたところ、ジムでよく会うおじさんをふと思い出した。

「○○マラソン」と書かれたTシャツを着て、いつも一時間ほどランニングマシンで走っている。一目で生粋のランナーであることが分かる。ただ、おじさんをずっと見ていても、わたしには走る魅力が全く分からなかった。考えても分からないなら、自分でやってみようと思った。

走る練習を始めた人の多くはマラソン大会を目標にすると思うが、わたしは全くマラソン大会に興味が持てなかった。走れるようになるために何か目標がほしい。でも、マラソンは嫌だ。

「そういえば、トライアスロンも走るじゃん。」

そんな軽い感じでトライアスロンがわたしの目標になった。42.195kmを走るなんて、今でも考えられない。

トライアスロンの練習を始めて感じたことは、トライアスロンはひたすらに自分自身と競うスポーツだということである。

もちろんプロ選手は違うが、一般人の趣味としてのトライアスロンは、他人と勝敗を競うサッカーや野球と違う。競う相手はいつでも自分自身だ。

よく「長時間バイクに乗ったり、走っている時に何を考えているの?」と聞かれるが、回答に困る。

なぜなら、まったく何も考えていないからだ。

「ただ手足を動かし、前に進もうとする自分の意識」と向き合っているのである。

バイクに乗っている時は「あの人のウェアの色かわいいな」とか、走っている時は「前の人はランナー寄りの足かな、サイクリスト寄りの足かな」とかしょうもないことも考えている。

レース写真

社会で生きていると、家族、会社の人、友人などの周りのこと考えたり、家事や仕事など、やることに追われたり、意識をしないと自分と向き合う時間がとれない。

ロードバイクに乗ったり、走ったり。トレーニングをする時間は自然と自分と向き合えた気がする。

これからも、ただひたすらに自分と真摯に向き合う人生にするために、トライアスロンを続けてみたい。

スプリントは完走できたので、次はオリンピックディスタンスかな。

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