先日うつと診断された。
咳だけ出るのか、熱が40度あるのか。
風邪の度合いが様々なように、うつにも度合いというものがある。
私のうつは風邪でいうと少し咳がでるくらいだろう。つまり、軽度である。
具体的な症状としては毎日のように「過去の後悔していることを思い出しては落ち込む」「朝の3,4時に目が覚めて二度寝ができない」「ふとした瞬間に涙がでる」という感じだ。出かけることは出来るし、ごはんも食べられる。
調べたところ、うつ病は生涯に約15人に1人の割合で発症するらしい。全くもって珍しい病気ではない。
わたしは今までの人生、基本的にマジョリティとして生きてきたように思う。約15人に1人の割合でなるうつ病は決してマイノリティではないはずだが、今までの人生で「うつになった」という話を聞いたことがないので(言わないのか、気が付かないかのどちらかだろうが)世の中ではマイノリティと思われているはずだ。
うつと診断されて再認識した。うつは「甘え」でも、「心が弱いから」でもない。ひとりで我慢して、責任を背負って、がんばってきた人がなってしまうのだ。
今、精神的につらいと感じている人は、自分を責めずに生きてほしいと思う。
うつと診断されるまで
2022年12月。
健康診断で胸に腫瘍が見つかり、大学病院で精密検査を受け、乳がんの可能性があることを告げられた。結果、「今は良性だが悪性に変わる可能性もあるし、腫瘍が大きくなることもある」と言われ、現在は経過観察中である。(詳しくは、乳がん検診で引っかかり、大学病院で精密検査を受けてきた話を読んで欲しい)
2023年は「わたしの人生、今年で終わりだ」と人生に絶望して、メンタル底辺で迎えた。
人間関係に悩んだり、仕事で悩んだり、大好きだったペットが亡くなったり、(他の人と同じように)今までの人生でも落ち込んだり、眠りにつけなかったり、ひとりベッドで泣くことはあった。
ただ今回は何かが違う。
この数か月間、今まで通り、気を紛らわすために色々とひとりで試してきた。
行きたかったお店に行ってご飯を食べてみたり、お買い物に出かけてみたり、外に遊びに出かけてみたり、ランニングや自転車で体を動かすことに没頭したり。まつげが上がれば気分もあがる!とまつげパーマをかけてみたり。
今までであれば、これらの「自分がどんなに忙しくてもやりたいと思える好きなこと」「自分の気分が上がること」に時間やお金を惜しみなく使ったり、友だちと遊びに出かけていれば、いつの間にか心が晴れて元に戻っていた。
話が少し逸れるが「がんの治療中は妊娠はできない(してはいけない)」ということを知ってから、わたしはすぐに「卵子凍結」を考え始めていた。生検の結果が出てしばらくしてから、都内で卵子凍結ができる病院をネットで探し始め、比較検討するために3つの病院でカウンセリングや初診の予約をした。
今後がんになるかもしれないという今の自分の状況であれば、卵子凍結はやっておいたほうが安心だろうと思い予約を入れたものの、病院の待合室で待っている間、先生との診察が終わった後は、毎回、必ず、ジブリ映画の主人公並みの大粒の涙が流れ出た(ジブリ映画のように美しいものではないが)。
結局、卵子凍結をして将来に保険を残すということよりも、メンタル状態を重視して、卵子凍結を考えることは一旦やめることにした。自分からつらい状況に飛び込まなくてもいい。そう判断した。今でも賢明な判断だったと思う。
話を戻そう。
生検の結果が出て数ヶ月ほど経った6月。状態は変わらない。
「わたしの中にある腫瘍が、今この瞬間にがんに変わっているかもしれない」
「がんになっていたら胸をとる手術をするかもしれない」
「がんになっていたら治療をしなければいけない」
「治療中は妊娠ができないから、今アラサーのわたしはもう子どもは望めないかもしれない」
「そもそも結婚もできないかもしれない」
ひとりになると、すべての不安が一気に押し寄せてくる。締め忘れた蛇口のように、毎日不安で涙が溢れ出る。
「こんなに時間が経っているのに、なんで自分はずっと悲しんでいるのだろう」と、自分でネガティブな感情を消化できないことに悶々とする。
最初に「乳がんかもしれません」と言われてから今までずっと不安定な波打ち際に立っているような状態で、些細なことで引き波に足を取られて海底まで沈んだり、陸に流れ戻ってきたりを繰り返す毎日。
6月のある日。
夜中の3時に起きて(もちろん目覚ましのアラームが鳴る前だ)、そこから二度寝ができない、ということが1週間続いた。夜中3時から起きているので仕事中も眠い。頭がボーっとする。泣いているので目も重い。
「さすがに回復に時間がかかりすぎている」
眠れない日が続いて8日目の朝に、精神科の予約を入れた。
初めての精神科。診察室に入った瞬間、先生と言葉を交わす前に、涙が溢れ出た。先生はそっとティッシュを差し出し、わたしが落ち着くまでの数分間ずっと何も言わずに待っていてくれた。
落ち着いてから今までの状況や考えていることを、自分なりに言葉にして、先生に伝える。
「よく頑張ったんですね」
先生の言葉にまた涙が出る。
先生との診察は20分ほどだったと思う。自分の気持ちをこんなにも長い時間、話すことなんてあっただろうか。今までずっと、自分の気持ちを152cmの小さな体の中に抱え込んできていたんだ。先生の言う通り、よくがんばったのかもしれない。
診察を通じて、自分の気持ちに蓋をしてきたことに初めて気が付いた。
最後に「軽度のうつと不安症ですね」と診断を受けた。一般的にはうつと言われてショックを受けるのかもしれないが、わたしは「あ、わたしはうつだったから辛かったんだ」と自分の状態に病名がついたことに安心した。
自分ひとりで解決できないこともある
悲劇のヒロインにはなりたくなくて、ネガティブな感情を周囲の人に漏らしたり、SNSに投稿したりは絶対にしなかった。
寝られないことも、毎日泣いていることも、病院に行くまで自分で全て解決しようとしていた。(母にだけは時々弱音を吐くことができた。今も毎日のように泣いているけれど、人前で泣いたのは母の前で一度だけである)
周囲の人からはいつも明るく、やりたいことをやって、人生を楽しんでいると見えていただろう。
確かに、運動だったり、買い物だったり、友だちとカフェでおしゃべりしたり、”自分の好きなことをしている時間”は楽しい。”それ以外の時間”が常に辛かった。
今まで経験したことのない状況、立場を経験することで物事の見方が変わるかもしれない。
そうプラスに捉えながら、今までよりも少し周りに頼りながら、療養していきたいと思う。
また人生を楽しく過ごせる時間が多くなるように。
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